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苦しい道こそ楽な道 [徒然日記]

 私の祖母、江田教会の初代教会長、菊川ミツ大刀自の数ある教えの中で、私が特に大事に思い、心に刻んでいるものがあります。そして、その教えは五年前の離婚からことさらに意識されるようになってきました。

 人生には、大きな岐路に立たされるということがありますが、その岐路が、「楽な道」と「険しい道」とに分かれているようであれば、祖母は「険しい道を選びなさい」と参り来る信者さん方に説いていたそうです。

 その険しい道こそが「神様のおかげ」へと繋がっているということでした。楽な道ではおかげにならないのです。  ただし、これには条件があります。「神様と共に」険しい道を歩むということがなければなりません。険しさ故に自分一人では潰れてしまいかねないからです。半分神様に背負ってもらうといいますか、倒れないように背中を支えてもらうといった感じです。

 しかし、それもまた一人ではなかなか難しいこと。すぐ神様を見失ってしまいます。そこで大事になってくるのが教会にお参りして先生に話しを聞いてもらうということです。つまり、お取次を願うということですが、祖母もそうした一連の中で大変なおかげを蒙ってきました。

  こうしたみ教えが生まれた背景には、祖母自身の生き方、信心というものに裏打ちされた経験があったからです。

 祖母は、最初の夫が亡くなったとたん幼い我が子共々、婚家を追い出され、さらにはその婚家から半分押しつけられたかたちでの再婚を強いられます。祖母は生きる手だてとして、仕方なく幼子を連れて嫁ぐのでした。それが菊川の家です。

 嫁いで見ると、家の中は火の車、中風で弱っている夫、しかも二十四才も年上、年老いたおばぁさんと、十七才になる先妻の子は、多感な年頃の上に結核という重い病にかかってしまいます。

 まだ若い祖母が、そのような家を出ていこうと考えたのも、無理からぬこと。当時、結核と言えば死の病。幼く可愛い我が子にうつっては大変、生きるために好きでもない相手の家に嫁いできたのに、これでは元も子もない!!と考えたことでしょう。

 打ち騒ぐ心のままに教会にお参りをして、先生にお取次を願います。すると先生からは「今、あんたが逃げ出しても、難儀は形を変えて追いかけてくる。逃げない方がいいでしょう。」とのことでした。

 我が祖母ながらすごいなぁと思うのは、祖母がこのときの先生の言葉を素直に受け、じっとわが心の内を見つめ直しているところです。お取次をいただくことで、波立つ心が鎮まり、教会で神様に祈るなかに、一つの思いが祖母の心の中に浮かんで来ます。

(網走教会信徒会だより「ななかまど」4月号へつづく)



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