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朝のみ教えと徒然日記 [徒然日記]

朝のみ教え
 


徒然日記

 四月、ご本部へのお礼参拝をしたときのことです。お広前にてご祈念をしたあと、お結界に進んで結婚のご報告とそのお礼を申し上げました。
 さらに、妻が未信奉者から教会の奥さんという立場になるということで、そのことをお届け申し上げ、「私自身の信心をちゃんとするということもさることながら、妻としてはどのような心構えでいれば良いのか、なにかお言葉をいただけないでしょうか」とお願いしました。


 お結界には、教主金光様ご代勤の先生がお座りになっていましたが、妻に目線を向けられて、おもむろに語りかけてくださいました。

 
 「里が千葉ということなら、網走はご両親にとってみると津軽海峡を隔てて遙か北の果て、まるで海外に嫁がせたような思いでおられることでしょう。ましてやお道の教会のことをご存じない親御さんなら、なおさらその事でもご心配になっているはずですから、週に一回でも二回でも電話をして近況を知らせてあげなさい。親は子供の様子を知りたいものです。親様あっての私ですから、親様に安心していただくことがとても大切です。それが信心というものです。」

 細かい表現や文言は違いますが、大まかにこの様な内容でした。妻にとっては、初めてのみ教えとなります。大変有り難いことでしたし、妻には生涯この教えを大切にしてもらいたいと思いました。


 私は、お結界からのお言葉を聞きながら、おそらくご代勤の先生ご自身がこの「親様」ということを大切になさっているのだなと思わせて頂きました。「親様」という言葉の中には、妻に仰ったのは里の両親ということですが、教会で言えば親教会、私にとってみれば親先生、両親、我々の教えの親である教祖様、現教主金光様、そしてなんと言っても天地の親神様という親様があるように思われます。私は先生がそうした思いでお話しなっていたのではないかと拝察するわけです。


 こまめに親御さんに連絡を取りなさいと仰ったのも、まさに信仰そのものです。親に様子を知らせることは、親に安心してもらえることに繋がってきます。それが悪い事柄にしてもです。
 とかく親に心配をかけないようにと悪い事柄は話さず、良いことばかりを知らせようとしがちですが、それは間違った考えのように思います。心配をかけないようにと知らせなかったことが、返って後に大きな心配へと繋がってしまったということはよくあることです。


 ずいぶん前のことでその方はすでにご帰幽になっていますが、ある大きな問題を抱えたご信者さんがおられました。
(次号へ続く)


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