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四代教会長式年祭に [徒然日記]

しばらく、お休みしている間の古いものから順に掲載致します。ご笑覧ください^^
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 五月二十一日、おかげを頂き当教会におきましても、御本部金光様と願いを同じくして天地金乃神大祭が仕えられました。大変有り難く存じます。
 併せて高松清正純大人三十五年祭をお仕えし、網走教会長としての三十二年間の御用と今なお霊神様としてお働きくださっていることに感謝の祈りを捧げました。
 江郷先生の教話も大変ありがたく、高松先生のお人柄やご信心の一端をお話し頂きました。
 
 当時、高松先生は、御大祭の執行時間が間近であっても、ご信者さんからのお供えがあれば、せっかく遠くから持って見えたんだからと、その思いを大切になさって、一度お供えしていた野菜を下げ、新たな野菜を加えて盛り付けるなどなさっていました。そういうことで、当時の網走教会は大祭執行時間が二~三十分遅れるのが当たり前だったようです。
 
 今の時代では考えられません。時間通りに始めないと大騒ぎです。昔は今よりも時間がゆっくりと流れていて、人々の心にも余裕があったのではないでしょうか。より豊かな人生をとの願いで開発された機器も、あまりに便利になりすぎた現代では、皮肉なことに人々は返って忙しくなってしまいました。その一番が車と携帯電話の普及のように思います。どこかに出かけていても、常に仕事が追っかけてくるという状態のように思います。
 
 話がずれましたが、そのような高松先生に当時年若い江郷先生が、み教えをもとにご忠告なさっているんです。驚きなのはそのことを素直に受け入れられた高松先生のご姿勢です。それからは時間きっかりに御大祭をお仕えになるようになったということでした。
 
 誰でも自分がよかれと思い、正しいとも思いしていることを忠告されれば、そうそう素直に受け入れることは難しいことのように思います。しかも相手が教師になりたての年の離れた目下の者であればなおのこと。いくらそれが正論であっても聞く耳など持てないように思います。自分が信心でしていること、若造が何を言う、いらぬ世話だとなっても不思議ではないでしょう。
 しかしそうしなかった高松先生、そのどこまでも謙虚で実意なご姿勢、ご信心は、御取次の上にも現されています。
 
 あるご信者さんは商売の上で独り立ちをなさったとき、お手紙と共に幾ばくかのお餞別を高松先生から頂いたそうです。お手紙とお餞別を自宅の神前にお供えし、商売で行き詰まったり、辛い時など、どれほど高松先生の御心に支えられたかわからないということでした。またあるご婦人は、嫁ぐときに高松先生より頂いたお手紙を五十年来今もって、大事にしているとのことでした。高松先生の深い祈りがそのお手紙やお餞別に込められていたことが分かります。
 
 今、改めて高松先生のご功績を思うときに、後をお受けしている私として、先生の神様にも人にも謙虚で実意な信心というものをしっかりと学ばせて頂き、御用の上に現していかねばと強く願うのでした。

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