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人に非ず [徒然日記]

 一月二十六日と二十七日にかけて、札幌での教区会議・教師研修会に出席してきました。初日に研修会で岩代郡山教会長の橋長孝三郎先生を講師に「福島原発事故の今」を学びました。明くる日の会議は北海道教区の今年の活動方針やその内容の説明を受けるというものでした。

 さて、その「福島原発事故の今」ということですが、震災だけでも大変な事態となり、五年がたった今でも問題は山積したままというのに、それに輪をかけた災難がこの原発事故であるということを再認識してきました。家を追われ土地を追われ、生まれ育った故郷を去らねばならず、戻ったとしても放射能という見えない恐怖に苛まれながらの生活がいかに過酷なもので、いかに理不尽な扱いとなっているかを聞かされると憤りにも似た感情が湧いてきます。戦争と並び人類が起こした最も理不尽なものと言えます。


 我が国では世界で初めて原爆を落とされ多くの人が亡くなり、その放射能により被爆した多くの人とその家族が何十年も、そして今もなお苦しんでいるというのに・・・、チェルノブイリ原発事故では、その周囲の街は死の街となり、二度と人が暮らすことができない土地となっているというのに・・・。冷戦時代に行われた核実験で、放射能による多くの大気汚染・土壌汚染・海洋汚染・生物汚染を引き起こしているというのに・・・。


 我が国の為政者は、原発再稼働を次々と推し進めようとし、経済的にも軍事的にも世界の中で、強者となることに躍起になっているように見受けられます。あたかもそれが国民のためと言わんばかりに。低炭素社会を目指すために必要なのがこの原子力発電だと謳われ、最近ではイギリスへの原発の輸出もあるとか・・・。


 こうした政策を推し進めようとする為政者や企業は、福島やチェルノブイリの現状をどうみているのでしょう。そこで苦しむ人々のことをどう考えているのでしょう。このまま負の財産を子孫に残し続けるのでしょうか。それでも原発を推し進めることが出来る人は、もはや人ではありません。鬼です。人の皮を被った鬼です。


 原発は、日進月歩の科学技術により、いずれ制御出来るようになるとの見方も以前に聞いたことがありますが、その「いずれ」というのは気の遠くなるような年月を経てのことだそうです。百年後二百年後ということでしょうか、その間の犠牲はどうなるのでしょう。「いずれ」というだけで「必ず」という保証はどこにもありません。犠牲を払いつつ確証の無い未来に事を託すことも、大きな課題、負の財産を子孫に残すことになるということが分からないのでしょうか。


 教会の新年会で引いたみ教えくじに、
「粗末からすべての難儀起こるなり
実意を込めてすべてをたいせつに」
とありました。これは四代金光様のお歌です。この「粗末」とは「いいかげんに扱うこと。ないがしろにすること。」という意味があります。食や物を粗末にすると後にその食や物で泣かねばならない事があるのと同じように、人や自分自身、いのちさえも粗末にすると、そこから自分自身に難儀な事が起こってまいります。


 国や為政者、大企業など、ひとたび「人やいのち」を粗末にした政策を進めたとき、大きな悲劇と難儀が罪も無い人々にのしかかってきます。人類ひとりひとりが「すべてをたいせつにする」生き方を求め、そうした人々の中から為政者や大企業のリーダーが生まれ来る事を願わずにはおれません。


 人として、過去に起きた出来事から学ぶことを怠り、唯々として原発を享受してきたことを深く反省しつつ、まずは私自身が、このお歌を実践できるようにならねばと思うのでした。


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神様からの信頼(天地語122) [教話]

流氷の足音間近です。

今年も多くの恵みをもたらしてくれるようお祈りします。



では、今朝のみ教えです。



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