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理屈はよく言うけど(天地語164) [教話]

おはようございます<(_ _)>

最低気温がプラスになって来たとはいえ、最高気温はまだまだ一桁の日が多いですね。

北国のみなさんのご健康を祈りつつ、今朝のみ教えです。



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練り出すには(天地語163) [教話]

おはようございます。

本州や九州のある地域では春の嵐でせっかくの桜も残念なことでしたが、ここ北国は例年よりも一月も早い雪解けに、桜の時期も早まるのかなぁと心待ちにしています。 

さて、今朝のみ教えです。




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可能ならしめる力 [徒然日記]

 信仰の世界ではしばしば常識を越えた先に、あるいは常識とかけ離れたところに助かりの世界が広がっていたりすることがあります。もちろんただ非常識に振る舞うということではなく、神様を信じて、神様を頼りにその先へ飛び込むということです。不可能を可能にする原動力は、神様を信じる力にあります。

 ある方の体験で、仮にAさんとしましょう。Aさんは、若い時に事業を起こし今日におかげを蒙っておられる方で、まだその駆け出しのころだったといいます。教会に参拝して先生と仕事の話などしていると、先生はおもむろに火鉢のふちに火箸を渡し、「ここに一本の橋が架かっていたとして一人しか通れません、もしあなたがそこを渡っているとして、向こうから人が渡ってきたら、その時あなたは橋から飛び降りなさい」(何かで読み覚えていたことなので、文言などは正確ではありません) ということを言われたそうです。 

 Aさんは、先生のその言葉がずっと耳に残っていて、今日までのことを振り返ってみると「我先に」「他を蹴落として」ということではなく、時には人に道を譲るというようなことでおかげを蒙ってきたことを何かのことで書いておられました。 

 ソ連の崩壊に代表されるごとく、平等で平和な世界を築こうとした社会主義はもはや衰退し、中国でさえも経済は資本主義をとるなど、もはやその色分けさえできない状態を呈しています。それほど他と競争して勝つには資本主義によるところが大きいということなのでしょう。わが国においても、年功序列は廃され実力主義が主軸をなし、激化の一途をたどる競争社会の中で、前述したAさんの生き方、事業の運営はまさに非常識でありましょう。生き馬の目を抜くという諺がありますが、すばしっこく人を出し抜き、抜け目ないあり方が現代社会の常識のようです。 

 ところがどうでしょう。そうした抜け目なく、人を出し抜き生きていくその周囲、あるいはその後ろには、一部には幸を生み出すということもありましょう、ですが出し抜かれた人をはじめ多くの不幸をも生み出し、今の社会が抱える問題の大半がそのことに起因しているとの見方もおおかた間違いではないように思われます。つまり自分だけが幸せになる、自分さえ良ければ、という生き方となってしまっていて、そこから多くの難儀が生まれてきているということです。残念なことにそれが現代における常識の生み出す結果となってしまっています。 

 たとえ、そうした競争社会であっても、Aさんのように「我人ともに助かる」生き方でおかげを蒙って来た人が、この金光の道には沢山おられます。 

 私はAさんのエピソードを読みながら、ふとある人物を思い浮かべました。我が家の家計も苦しいのに、次から次へと行き場を失った親戚の子供や難儀な家族を預かり、「預かれば一番に根をあげるのはおっかさんじゃないか」と子供に指摘されながらも、「根をあげながらでも預かった方が、見捨てるよりはいい」、見捨ててしまえば自分が助からないとしてやってのけた祖母のことです。 

 祖母は、若くして夫を亡くし、待ってましたとばかりに婚家を追い出されます。そうして再度嫁ぐわけですが、そこは貧乏極まりない菊川の家でした。そんな中、戦争がはじまり疎開先の当てのないある家族を預かることになります。元の婚家の義理の弟家族です。自分を冷たくあしらった家の者さえも見捨てることなく受け入れていく、その祖母の心には常に天地の親神様がついていて、信仰の声なき声に忠実であろうとしていたように思います。 

 祖母のそうした生き方を、子供である大阪の叔父は、「変わった生き方をしてみませんか」という題で、ご本部の大祭で講話したといいます。祖母の歩んだ後には多くの救いが生まれてきました。江田教会は、九州の過疎化する片田舎に、今なお堂々とした構えと多くの信奉者を有しています。常識を越えた助かりの世界に導かれた結果だと言えます。 

 ところが、立教から百五十年が過ぎ、わが道も常識の範囲の中での信仰にとどまる風潮がようやくはびこってきました。信仰の常識化といいますか、世間一般の考え方、価値観に迎合する向きが増えてきたように感じます。言い換えれば、神様を信じる力が弱まってきたということでしょう。今教団の抱える問題として、教会数、教師数、信奉者数の減少に教団の危機が叫ばれるようになってきましたが、そうした物理的な危機の根底にあるのが、神様を信じる力が弱まるというもっとも危惧せねばならない信仰の危機といったものがあるのではないでしょうか。 

 と、ここまで書き進めて、じゃあ、そんなお前はどうなんだとの声が聞こえてきます。心引き締めてご用に当たらねば、親しい友人などからは、お前がもっとも危惧されるんじゃないの!と突っ込まれそうです。


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