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魂の声なき声 [教話と日記]

3月30日、今朝のみ教え映像と徒然日記 http://konkoabasiri.blog.so-net.ne.jp/2015-03-10-1 の続きです。

今朝のみ教え
https://youtu.be/Ovank-VpCK0

徒然日記「苦しい道こそ楽な道」の続き

 「たとえ、菊川の家を出ていって、別な人と再婚し、それで幸せになったとしても、その幸せは難儀な家族(義母、夫、義理の息子)を見捨てたという事実の上に成り立つことになる、この後ろめたい気持ちは一生つきまとい私自身助からないだろう。そうであれば逃げずに腹をくくろう」と。

 こうして祖母は、菊川の家にとどまることを決意したのです。誰がみても大変険しい道を選びました。しかし、その苦難の道にこそ、祖母本人の、そして菊川家の、さらには後に布教する江田教会に参り来る人々の助かりへと大きく展開していくのでした。

 さて、私のことで、離婚直後のことです。教師としての信頼は地に落ち、きっと誹謗中傷や偏見の目にもさらされるに相違なく、ましてやこの網走教会にとどまることは、恐怖と羞恥、そして信頼回復の困難さで目の前が真っ暗になる思いでした。と同時に暗闇の中に一人ぽつんとたたずんでいるような深い侘びしさにも耐えていかねばなりません。正直な思いとして、先のことを考えると怖くて怖くてなりませんでした。

 こんにち、それらを耐えて乗り越えることが出来たのは、私を支えてくださった多くの方々あってのこととは言うを待たないのですが、私の心の支えとなったのは、この祖母が導き出した信仰内容です。

 どんなに恥をかこうと、どんなに中傷があろうと、どんなに寂しかろうと、這いつくばり、涙を垂れ流しながら無様な姿をさらしても、私が助かる道はここしかないと思い極め得たことは、まさに祖母の信心によって導かれたとしか思えません。

 もう一つ、江田教会に引き上げなかった隠れた理由があります。それは甥である恭生君の厄介叔父だけにはなりたくないということです。

 江戸時代、武家の次男や三男が婿養子の口がなかった場合、冷や飯食いのまま、家督を継いだ長兄の息子、つまり甥の居候となります。厄介叔父とは、後を継いだ甥から見た、部屋住みの叔父をさした言葉です。池波正太郎氏の時代小説には、この厄介叔父なる武士がよく主人公として登場し奮闘大活躍しますが、多くは家族を持つことも出来ず肩身の狭い一生を送らねばならなかったようです。
  このことが幾度となく私の頭をよぎりました(苦笑)。

余談でした。戻ります。

 この岐路に立たされたときの祖母の判断事例は、他にも枚挙にいとまがありません。ことごとく難しいと思われる道を選び、神様と共にその道を歩んでいます。一見して険しい道こそ助かりへの道筋だということを自身の信仰経験の中から導き出していったのです。

 この信仰による経験則は、父や母に受け継がれ、そしてこんにちわたしにもかろうじて受け継がれていたのだなぁと思えて、ありがたくてなりません。

 二月七日は、祖母が帰幽して二十五年の式年の日でした。八日に江田教会において二十五年祭が仕えられ、本来ならば私もお参りに行かねばならないところ、三月七日に結婚式を控え、その後四月の江田教会のご大祭にて結婚の報告お礼参りをさせていただくことから、この度はご無礼することにしました。私は行けなくてもせめてもとの思いで、名代のタラバガニにお参りしてもらいました。祖母はカニが大好物だったのでこの参拝は喜んでくれたことでしょう・・・(笑)


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